東大寺 襖絵

東大寺 襖絵

2006年に『聖武天皇御影』『光明皇后御影』、2010年に40面の襖絵を奉納。十勝・中札内村、鎌倉・建長寺境内のアトリエ『玉雲庵』などで製作された。現在すべて非公開。
NHK「あの人に会いたい」でとりあげられた映像のダイジェストで、一部製作中の様子を見ることができます。

 
NHKアーカイブスインターネット配信 http://www.nhk.or.jp/archives/people/

 

東大寺本坊広間襖絵『蓮池』16面。 2012年の一般公開時の様子。(拡大可)

東大寺襖絵 蓮の間

 

東大寺本坊上段の間襖絵「鳳凰」4面。 2012年の一般公開の様子。(拡大可)

東大寺本坊上段の間襖絵「鳳凰」一般公開の様子

 

 

東大寺本坊大広間『しだれ桜』4面(拡大可)

東大寺本坊大広間『しだれ桜』4面

 

東大寺本坊大広間『東大寺本坊の桜』4面(拡大可)

東大寺本坊大広間『東大寺本坊の桜』4面

 

東大寺本坊大広間『吉野の桜』4面(拡大可)

東大寺本坊大広間『吉野の桜』4面(拡大可)

 

鎌倉の建長寺境内「『玉雲庵』での「蓮池」製作風景。(拡大可)

鎌倉の建長寺境内「『玉雲庵』での「蓮池」製作風景。

 

――賽の河原で石を積むような気持で、すべての画題を丁寧に根気よく描いていった。石の山を崩しに来る鬼がいないから、絵は少しずつ積みあがるように仕上がっていった。長丁場だった。ヘルニアでひどい腰痛に悩まされた。今度も使わせていただいた北海道・中札内村の体育館で、和紙を貼ったパネルの上で膝をつき、上体をかがめ、絵に顔を近づけて絵筆を動かすのは、ひどくつらく、何とか回復した後も休み休みの作業になった。(中略)
そんなこともあって一筆入魂の思いが強まった。完成したとき、銘を入れず、印も押さなかった。後世の人たちが名もない平成の絵師の仕事だと思ってくれればいい。(日本経済新聞出版社『我の名はシイラカンス三億年を生きるものなりー私の履歴書』より抜粋)

 

「蓮池」部分1(拡大可)

「蓮池」部分1(拡大可)

 

「蓮池」部分2(拡大可)

「蓮池」部分2(拡大可)

 

「蓮池」部分3(拡大可)

「蓮池」部分3(拡大可)